イントロ

 研修医を修了し外科の医局に入局してからは(その頃の?)大学医局員の常として関連病院への派遣でいわゆる転勤族のようにこまめに引っ越しする生活でした。とはいえ私は派遣先が2つだったので少ない方ですが、それでも就職してからだけでも引っ越しの回数は8回になります。千葉の病院に勤務していた期間を除いて郷里に戻った今もアパート住まいです。
 

 いずれは郷里に戻ることは決めていましたが、その時は実家からそう遠くない所(日本風に言えば、いわゆる「みそ汁の冷めない距離」)に土地を求め家を建てようと思っていました。ただそれは少なくとも私が40歳になった頃かな?などと思っていたのですが、予想外に早く郷里に戻らねばならなくなってしまいました(そのあたりの詳しい状況は過去の日記2002年3月9日〜で)。

 戻ることが決定的となった時点では自分の将来について非常に不透明でした。つまり今勤めている診療所にいつまでいられるか判らないような状態でしたから「自分の家を・・」と考えた場合、将来の開業まで視野に入れて土地を探す必要が出てきました。つまり今まで考えてきたよりは広めでロケーションもそれなりに考える必要がありました。毎週千葉・福島を往復しつつ当時の診療所の事務長や両親に土地探しをしてもらい、毎週土曜日の午後に千葉に戻る前に実際に候補物件を見る、ということを繰り返していました。しかしなかなか条件に合う土地というのは見つからないもので「もう開業のことは当面考えなくていいか?」などと妥協の念が頭をもたげるような状態になりかけていた矢先にある不動産屋さんからFAXが入り早速その土地を見に行くとこれが値段・ロケーション・広さのいずれも満足のいくところでした。満足度からいえば80%超といったところ(後にとんでもない事実が判明するのですが・・)で少し悩んだ挙げ句そこに決めました。土地の売買契約を2002年6月に結び、9月には今のアパートに引っ越ししてきました。

 私の職場の状況はその後紛糾を極め、私的には胃に孔があきそうな日々でしたが今年(2003年)3月にようやく事態が収拾方向に向かいとりあえず私は今の診療所にずっといることになりました。そうしてようやく家の事を考えることができるようになりました。また、今住んでいるアパートは2年契約(2004年8月まで)ですからそれが切れる前に引っ越してしまいたい!ということもあって家造りが具体的に動きだしたのです。