東日本大震災

2011年5月31日
 前回の更新から実に5年半振りの更新です。
  
 2011年3月11日の東日本大震災では当地を震度6弱の揺れが襲い沿岸部は津波で壊滅状態となり、その被害の甚大さは報道されたとおりで改めてここで書くまでもありません。地震発生当時、私は職場にいてほんの200m手前くらいまで津波がせまったものの職場は無事で、妻子はちょうど長男の送迎のため幼稚園にいましたが園側の迅速な判断で残った園児全員が避難場所に移動したため幸いに一家そろって無事でした。
 今回の震災では本震が巨大だっただけに余震も大きく且つ頻回で、特に4月11日の余震は本震より持続時間こそ短かったものの本震を凌ごうかという大きな揺れで、本震にはどうにか耐えた建物もこの余震で倒壊あるいは大きなダメージを受けたところが多かったようです。4月11日はこの家の7回目の引き渡し記念日でしたが、とんでもない贈り物(?)がきたものです。
  
 私達家族は実際には震災後の7日間を我が家で過ごしました。昨年10月に授かった次男坊が震災前から崩していた体調が入院レベルに悪化したのと原発事故のからみもあって3月18日から妻子をヨメの実家の熊本に避難させ、私は実家で両親と過ごしていました。妻子が避難先から戻り再び一家揃って家に戻ったのは4月中旬でした。
  
 本震からの3ヵ月弱、書ききれないほどに様々なことがあり現在も余震こそかなり沈静化したものの原発問題が進行中(それでも当地は空間線量率 0.15μSv/h前後と低目の推移ですが)で落ち着いた日々を迎えるにはまだまだ遠い道のりのようです。それでも生活のパターン自体は通常に戻っているので今回の震災での我が家の状態について記しておこうかと思います。
  
 今回の震災被害の大部分は津波によるものでしたが、我が家は沿岸部から少し離れており、しかもやや高台にあるため津波の被害とは無縁でいられました。3/11の本震と4/11の大余震の大きな揺れに対し家本体はほぼ無傷でした。家本体で唯一損傷を受けたのは玄関のタイル周りです。地域の他の家屋をみると瓦が崩れる被害が多かったようですが、我が家は幸い瓦も基礎部分も目視で確認した限りでは無事でした。また駐車場のコンクリートも割れなど観られず無事でした。

●建物本体の被害〜玄関タイル周り


玄関のタイルと框の間のセメントの剥離落下です。ほぼ全周にわたってセメントが剥がれていました。

 セメントの剥離の他に玄関扉手前の柱基部のタイルが剥がれて割れていました。

 上のタイルのアップです。上からの圧迫の力が加わったようで左方に傾き剥がれています
 同じタイルを扉側から撮りました。真ん中で割れているのが判ります。

●裏の道路の被害


 家の北側、駐車場が面する道路の反対側歩道の様子です。側溝のフタが奥の方で歪んでいるのが判ります。
 対側がこの状態だったにもかかわらず家側の歩道と駐車場が無傷だったのは本当に奇蹟的でした。

●家の中の唯一の物損


 2階の子供部屋の3月13日の状態です。この部屋は普段は使っておらず、観ての通り漫画などの本やぬいぐるみが置かれています。本震の揺れでも御覧の通り、本棚も倒れず、中の本も殆ど落ちずに済みました。
 この本棚は設置時に床の部分には耐震ゲルを敷いて、天井部分は突っ張り器具で固定するようにしたのが奏効したようです。
 本があまり落ちずに済んだのは本震と4月11日の大余震の揺れが横方向ではなくつき上げるような縦揺れが主だった事によると思われます。

 今回の地震での我が家の唯一の物損ともいえるのがこの絵が落下してフレームのガラスが割れたことです。この絵は本棚に立てかけて置いておいただけなので当たり前といえば当たり前です。ただ、写真には写っていませんがその下に置いておいた大・中・小の陶器製のトロの貯金箱は落下を免れ割れずに済んだのが不思議です。

●鯉のぼり

 4月29日に例年通り鯉のぼりを出しました。
こんなときだからこそ、滝を登る鯉のように上をむいて一家で力強く生きて行けたらと思いました。
 鯉が4匹いるのは次男坊が誕生したためなのですが、本来であれば小さな鯉のぼり(1.5mサイズ)を買い足したいところ、入手できなかったためやむなく3mサイズを足したのでした。

震災直後の状態

 ライフラインについては震災直後いわき市全域で断水となりました。電気については幸いにして私の住む地域では停電にならずに済みました。
 
 震災後しばらくは深刻なガソリン・灯油の供給不足となり開くかどうか判らないスタンドに連日前日夕方から車が長蛇の列を作っていましたが、暖房に関しては我が家はオール電化のため灯油が要らないのでこの点ではとても助かりました。4月11日の大余震の際には停電しましたが、これも幸い10時間程度で復旧したため大きな影響は受けずに済みました。一般に災害時に最も早く復旧するのは電気といわれていましたが、どうやらそれは本当のようです。震災直後の数日間は通信網が事実上麻痺状態で人との連絡において一番頼りになったのは携帯のメールでした。生活に必要な情報を得るという点ではテレビは全く役に立たないためローカルのFMラジオやネットが情報の命綱となりました。インターネット接続は生きていたためこの点でも停電にならなかったのは幸いでした。
  
 やはり今回の震災で最も困ったのは断水です。電気は生きていても水がなければ調理はできませんし、衛生面でも困ります。それまで我が家は私が朝の出勤前に風呂を洗って、夕方に湯張りをするというサイクルだったので被災時の浴槽は空で残り湯を活用できませんでした。
 乳児がいるためミルク用に綺麗な水道水が必要なので、その確保についてはヨメが24時間対応の浄水場までタンクを抱えて給水に行っていました。トイレ用の水については隣家に古い井戸があって昔に水が汚れて使って居なかったようなのですが、トイレには使えるということでそれをいただける事になり本当に助かりました。子供達の食事やミルク以外に使う水については、エコキュートのタンク(460リットル)から水(お湯)を抜いて使っていました。以前から災害時には電気温水器は貯水タンクとして使えると言われていましたが、実際にそれをする羽目になろうとは思っていませんでした。ただ、エコキュート(通常型の電気温水器も)の機種によっては非常時にタンク内の水を取り出すための蛇口を備えているものもあるようですが、我が家のエコキュートはそれがないため水を取り出すにはかなり苦労しました。メンテナンス用に定期的にタンク内の水をブローするための排水パイプとバルブがあるのでそこから取り出すしかないのですが、排水パイプが下水道に繋がる排水口に向いているためバルブを開けるとそのまま下水道に排水されてしまいます。そこで、ホームセンターに行って口径の合うビニールホースを購入し排水パイプを途中で切断し、そこに繋いで水を取り出しました。タンク内の水はそのまま飲用するには向かないと思われたのでコーヒー用のペーパーフィルターを三重にして濾過したのちに煮沸して大人の飲用にしました。もちろん身体の清拭やちょっとした洗浄に使う時にはそのまま使いました。
 結局震災直後の7日間でヨメが給水所に行ったのは2回(計約100リットル)で済み、あとは隣家から頂いた井戸水とエコキュートの水で凌ぐことができました。ページ冒頭のように18日からは家を空けましたが、エコキュートの水は半分以上残っていたようです。また、断水は3月20日頃に復旧しました。

雑感 

 正に未曾有の大災害に見舞われましたが、我が家に関しては実質的に被害がなく断水はあったにせよ震災後直後も自分の家で暖かく過ごせたことは本当に恵まれていたと思います。また、余震の度に実感したのは欲目抜きでこの家は揺れが少ないということです。設計段階でコストの関係で間柱が4寸から3.5寸になってしまったのですが、とりあえず今回の地震ではその影響はなかったようです。建てて7年も経つと家の存在そのものを意識することは殆ど無く過ごすようになってしまってましたが、今回の事で改めて安心できる家に住んでいるのだと言うことが実感できました。5歳の長男に震災直後でも家で変わらず過ごせることのありがたさを何度も教えましたが、それもしっかりした家があってこそだと思います。家とは直接関係ないのですが、今回の件でこれまでいくらしかってもなかなか集中した態度で食事を摂ることが出来なかった長男がきちんとした態度で食事を摂るようになってくれました。食事に限らずそれまでの生活で当たり前に供されていたものが実は当たり前ではなかったということを長男なりに解ってくれたようです。
 地震そのものによる生活への影響は日々無くなりつつあるなかで、重くのしかかるのは原発問題です。当地の線量率は低く推移しているため私個人は全く気にせずに普通に生活していますが、長男の通う幼稚園では園庭での活動を自粛しているなど生活のそこかしこで影響がでています。些末なレベルではありますが、我が家も土壌への影響はあると考えるのが妥当なので今年は家庭菜園で野菜は作らない事にしました。例年菜園で何を作るかを話合い、出来た野菜を収穫して食べることを楽しみにしていた長男には可哀想なことです。その代わりに長男の希望をきいてヘチマとひょうたんを作ることにしました。ひょうたんは家の南向きの窓のところにネットを張って栽培し「緑のカーテン」にするようにしました。今年の夏はより一層の節電が必要になりますからある意味一石二鳥です。太陽光発電があるとはいえ、電力の消費を抑えることの必要性に変わりはないのですから。
 
 原発問題の先行きは見えませんが、このままずっとこの家で子供達の成長を見守って行けたらと切に願うところです。